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長野日大 その5 毎日新聞より

 投稿者:管理人  投稿日:2008年 3月 6日(木)11時29分34秒
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  ◇名将の厳しさに感謝
松本市の中原英孝監督(62)の自宅居間にあるガラスケースには、91年にセンバツ準優勝の際の記念メダルとともに飾ってある手紙の束がある。「先生のおかげで成長できた」「中原監督のような人になりたい」--。中原監督が就任した05年に引退した3年生から送られた手紙。監督は「一生の宝物」と表現する。
中原監督は「骨をうずめるつもりで」、母校の松商学園で野球部を20年間、率いた。しかし部内の不祥事が発覚し、04年4月、引責辞任した。多くの学校から誘いがかかったが、「甲子園に出たことのない学校で自分の力を試したい」と長野日大を選んだ。
05年1月に就任すると、中原監督はその違いに驚いた。練習場の広さや練習時間の少なさ……。ナインもそうだった。松商学園では県内外からトップクラスの選手が集まったが、長野日大はほとんどが長野市とその近郊の出身。「素直でいい子だが勝負に対する執着心に欠ける」と感じた。
その懸念は同年3月からの対外試合に露呈した。高崎経済大付(群馬)に9-20、日大三(東京)には7-45で大敗した。「飛び込めば取れる打球を取らない」「迷ったら走塁しない」など積極性にかけるプレーが目立った。中原監督は「迷ったら前に進め」と繰り返し言った。また「3年になったら誰でも試合に出られる」という雰囲気を変えるため、同年4月の地区予選前にはレギュラー9人中8人を変えた。
外野手から内野手に変わった佐藤慎太朗さん(20)は「認められなければ、試合に出られない厳しさを学んだ」と話す。中原監督が「実力は飛び抜けていた」と評価する大羽祐太さん(20)も例外ではなかった。主将で4番だったが「めったにほめられなかった。てんぐになっている自分に気が付き、反省した」
3年生最後の試合となった05年夏の県大会4回戦の翌日。大羽さんは手紙の束を中原監督に差し出した。「僕たちの気持ちです」。中原監督は驚きながら受け取った。3年生全員から手紙をもらうのは監督人生で初めてだった。大羽さんは「とても厳しかったが振り返れば監督の指導は的確だった。みんな感謝の気持ちを伝えるためにしたためた」と話す。中原監督は手紙を読んだ時、「この高校に来て良かったと心から思えた」という。
野球に対する執着心は今の部員にも引き継がれた。07年の北信越大会では4試合のうち1点差の試合は二つ。決勝進出をかけた敦賀気比(福井)戦では2点差で迎えた九回、3点を挙げて逆転勝ちした。中原監督は「どんな選手でも努力すれば必ず結果がついてくる」と話す。甲子園10勝の“名将”は新天地で勝負の厳しさを伝え、新たな歴史を刻んでいる。との事です
 
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